天皇陛下の崩御で恩赦期待し当てが外れ夫婦で同じ日に吊るされた暴力団組長夫妻!!!夕張保険金殺人事件(1984年) - 内憂外患こもごも至る

天皇陛下の崩御で恩赦期待し当てが外れ夫婦で同じ日に吊るされた暴力団組長夫妻!!!夕張保険金殺人事件(1984年)

1億円以上の保険金目当てに従業員や子どもを殺害…夕張事件、首謀者夫婦の末路とは?【大量殺人事件の系譜】

 怨恨、痴情のもつれ、社会への恨み、貧困、遊行費欲しさ。事件の要因はもろもろあるが、生命保険のニーズが高まった1970年代から1980年代にかけて、保険金の搾取を狙った犯罪が増加した。

夕張保険金殺人事件(1984年)大量殺人事件の系譜〜第14回〜

 1億円以上の保険金をせしめた「夕張保険金殺人事件」(1984年)は当初、何の疑いも持たれていなかった――。

 事件が発覚したのは、仲間割れからだった。首謀者は暴力団組長のH(当時41歳)とその妻(同38歳)、実行犯は部下のI(同24歳)。炭鉱下請け会社を経営していたH夫妻は、従業員に多額の保険金を掛け、Iに従業員宿舎の放火を指示した。結果、子ども2人を含む6人を殺害、約1億4000万円の保険金を手に入れたのだった。

 その夜、1984年5月5日はジンギスカン鍋を囲んで、従業員たちの宴会が開かれていた。警察や消防が出火の原因としたのは、その火の不始末。火災事故は一件落着したはずだった。ところが3か月後、Iは警察に対し、「事件はH夫婦を首謀者とする保険金目当ての放火で、自分が実行犯」と、衝撃的に打ち明けたのだ。

 発覚していない事件を、Iはなぜ自ら“自供”したのか。事前の計画でIは、Hから500万円の報酬を受取る約束だったものの、実際に渡されたのは75万円のみ。H夫妻に対して不信感を抱いたことに加え、事情を知っている自分はいずれ抹殺されるのではないか。そう感じてIは警察に駆け込んだのである。

 ほどなくして3人は、放火と殺人、詐欺の疑いで逮捕された。

 Hと妻は以前から、炭鉱労働者を斡旋する仕事をしていたが、事件の3年前、1981年10月、93人が死亡した「北炭夕張新鉱ガス突出事故」が発生。Hが斡旋した労働者7人も犠牲になった。このとき、保険金1億3000万円あまりがH夫妻のもとに転がり込んだ。

 濡れ手で粟のような形で手に入れた大金。H夫妻は、新築豪邸や高級車を購入、海外旅行にも何度も出かけた。贅沢三昧の豪遊の日々。だが、思うような状況は長く続くものではない。わずか2年あまりでそれを使い果たしてしまう。「夢よ、もう一度」とばかりに、そして新しい事業資金のために思いついたのが「保険金殺人」であった。金銭を騙取するためという身勝手な動機の計画的な殺人事件だったのだ。

 Hらの思惑通り事件は発覚することなく、「完全犯罪」目前だった。ところが、Iへの分け前を値切ったがために、思わぬ形で悪行が表面化することになる。第一審は1987年に行われ、H夫妻はこう主張した。

「目的は放火による火災保険金騙取で、従業員を殺すつもりはなかった」

 しかし、H夫妻に「未必の故意」が認定され死刑を、Iには自首が認められ無期懲役の判決が下った。Iは裁きを受け入れ、H夫妻は控訴した。ところが翌1988年、H夫妻は突如として控訴を取り下げた。これは、当時重篤な病状にあった昭和天皇がもし崩御した場合、恩赦による減刑を期待したものだった。恩赦は、刑が確定している者が対象のため、控訴を取り下げたのだ。

 過去には、明治天皇や大正天皇の崩御などに際して、死刑囚が無期懲役に減刑された例がある。昭和天皇が重篤な状態だった当時、何人かが控訴や上告を取り下げ、刑を確定させている。1984年に連続殺人事件を起こし、一審で死刑判決を受け控訴中だった澤地和夫は、同じ東京拘置所に収監中の別の死刑囚から、恩赦について次のような手紙を受取っている。

<沢地さん、これに乗り遅れると大変な損になります。何しろ自分の命がかかっているのですからね。こういうチャンスにめぐり会えるのは、だれの人生にもそうそうあるものではありません。沢地さん、腹をきめて控訴を取り下げて刑を確定させるべきです。そうでないと千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになります>(澤地和夫著『東京拘置所死刑囚物語』より)

 結局、澤地は控訴を取り下げることはなく、最高裁まで闘って死刑が確定した。一方、本稿の主人公であるHは控訴を取り下げ、死刑を確定させた。だが、昭和天皇の崩御にあたっては、恩赦が一切行われることはなく、H夫妻のあては大きく外れてしまった。H夫妻はその後、「法律的な知識が乏しい中で、恩赦があると誤認して控訴を取り下げてしまった」として、控訴審のやり直しを申請したものの認められることはなかった。

 結果的に控訴取り下げによって、死刑の執行が早くなったことは否めない。1997年8月、H夫妻は同じ日に絞首台に立った。女性の死刑執行は、戦後3例目だった。自分の子どもを、親を、仲間を、金銭のために惨殺する。計画的で悪質性が高い保険金殺人は、この事件前後から増加し始めていった。<取材・文/青柳雄介>

ソース:SPA 2017.01.13
    https://nikkan-spa.jp/1271488